地方物件の売却査定
数年前から高齢化社会の現象なのか日本中の物件の売却依頼が来るようになりました。
何で日本中の物件の売却依頼が来て、日本中の不動産売却を多数やるようになったのかいうと、売却不動産は日本中ですが依頼主は川崎市多摩区・麻生区の方達です。
川崎市多摩区や麻生区に住んでてご実家を相続したのです。
実家のある現地の不動産屋に依頼したとしても遠いし何度も行き来しなくてはいけません。
また、知らない人ばかりなのと知らない会社です。
という事で弊社に相談に来られるのですよ。
そうすると、弊社、家康ホームが実際に現地に調査に行ったり、現地の複数の不動産屋と組んで売却活動を始められます。
また、契約時や決済時に弊社が同行・同席する事で安心感が違います。
ただ、現地調査や現地での契約や決済の交通費や宿泊費は頂戴します。
安心感のある変わりに費用が少しかさみます。
売却金額的に地方なので、300万円から1,000万円ぐらいが多いので仲介手数料だけでは、足が出て赤字になっちゃいます。
最近では、滋賀県の一戸建てとか北海道のカニ缶の工場とかお取引しました。
社名が家康ホームだからか
栃木県から来たの?
いえ、東京からです。
なぜか神奈川県と言わない私(笑)
とか言われる事が多いです。
さて、今回の売却査定は、巨大な古民家です。
土地面積:約1,000㎡(約300坪)
建物面積:母屋 約550㎡(166坪)
大きな蔵(くら)が3棟
トイレ建物が1棟
その他:車庫 約10台分
な感じです。
敷地をグルリと立派な塀が建ってます。
昔の豪邸な感じで、塀も瓦で屋根が掛かってます。
これは、蔵(くら)です。
蔵(くら)だけで家一軒分ぐらいあります。
道路の右側が今回の査定物件の敷地です。
道路の先の突き当りまで、ずっとが対象地です。
母屋です。
でかすぎて旅館みたいです。
正面の門です。
相当、立派です。
珍しい屋根の形で、通常は瓦屋根が真ん中がへこんで反って作られるのですが、これは逆に丸みを帯びてます。
珍しい屋根形で建築関係の方や役所の方がよく写真を撮りにくるそうです。
門を入るとこんな感じ。
何年も人が住んでいないので、山林みたくなっちゃってます。
建物の中はこんな感じです。
ものすごい立派です。
とにかく梁(はり)が素晴らしい。
これ、玄関です。
約10帖ぐらいあります。
リフォームされている室内もあります。
室内は、生活されていた時の生活品や家具・家電がそのままになっているので写真は、これくらいにして
かなりスケジュールが詰まっていて、朝5時に会社を出発して現地で調査をして、折り返し神奈川県に帰らなければいけません。
翌日にリノベーション工事の見積もり作成と明後日は、朝一番で千葉県野田市で決済があるので、のんびり出来ません。
本当は、別所温泉にでも泊まりたかったのですが、しょうがない。
しなの鉄道「西上田」駅
足の向くままに、散策・・・。あなたの心に思い出の詩が・・・。
駅から徒歩 約12分の物件なので、最寄りの駅も調査してみます。
しなの鉄道「西上田」駅です。
駅から振り返って見ると
こんな山並み。
これ、駅前です。
現地での物件調査を終了して
さて、ご飯を食べましょう!
売主さんに有名でうまい蕎麦屋があるから行ってきな!と場所を教えて頂いたので、行ってみました。
信州蕎麦の【草笛】
信州蕎麦の【草笛】です。
かなり現地では有名なようで、あちらこちらに店舗があるようです。
かき揚げ蕎麦ですよ。
噂通りにうまいです。
上田城跡公園
そんでちょっと観光で、上田城跡公園にも寄ってみました。
駐車場は、こんな感じです。
駐車場の脇にたくさんの鳥さんやうさぎさんが居ます。
二の丸の鬼門除け(にのまるきもんよけ)(堀の隅久しと樹木屋敷)の案内
公園な感じでいい感じ。
百間堀の樋(ひゃっけんぼり の とい)の看板あがあります。
これが【百間堀の樋(ひゃっけんぼり の とい)】ですねー
二の丸北虎口(にのまるきたこぐち)です。
憩の広場
公園の真ん中辺に堀があります。アメンボがたくさん居ました。
赤松小三郎記念館があります。
上田藩士赤松小三郎さんは、公武合体をし、新しい政治体制を幕府に申し立てをし、近代国家誕生に大きな影響を与えた。
小三郎さんは、語学に秀でていて、慶応2(1966)年に「英国歩兵練法」を和訳し、日本の兵制の基礎確立に貢献しました。
慶応3年9月3日、京都から帰る途中、幕府の協力者と疑われて、待ち伏せていた薩摩藩士に襲われ亡くなりました。享年37歳でした。
厳かな感じで神社のようです。
二の丸西虎口(にのまるにしこぐち)
野球場の入れ口が二の丸西虎口(にのまるにしこぐち)にあります。
従って、堀の水は城より約4Km東を流れる神川から取り入れてました。
現在は、櫓下(やぐらした)の芝生広場から地下水を汲み上げて、堀へ供給しています。
堀が神秘的。
二の丸櫓台(にのまるやぐらだい)と煙硝蔵(しょうえんくら)
二の丸櫓台(にのまるやぐらだい)
煙硝蔵(しょうえんくら)は、物置なのかと思って写真撮りませんでした。
だって小さいんだもん。
本丸西虎口(ほんまるにしこぐち)
これが2か所ある虎口(こぐち)
虎口とは、城内への敵の侵入を防ぐために城の門に枡形(ますがた)を造って曲げるようにした出入口のことです。
信州上田城 は真田昌幸 公によって天正十一年(1583)に築かれ、息子真田幸村 や城下の住民らの活躍も有って徳川の大軍を二度にわたって退けた名城として、歴史にその名をとどめております。
かって城址には老杉が林立しておりましたが、今は数本を残すのみとなりました。
その内の一本が大風等により倒木の恐れがあり、伐採しました。
年輪を数えたら、四百五十年、築城当時より眞田三代を始め仙石、松平とこの城の栄枯盛衰を見てきた老木であることが判明。
上田城と眞田三代の歴史であり「心と魂」であるこの杉を、後世に残そうとその切り株を「赤備え兜」で風雨から守り御札、表札等各種木製品を記念に制作しました。
眞田魂はふるさとの大自然の知恵、人やいのちを全て愛したすける仁愛、逆境に立ち向かう勇気の「智、仁、勇」の三つとその基となる「愛と和と義」の六つの六連魂で出来ています。
敵に包囲されてもその抜け穴より兵糧を運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという。
帰り道
さて、帰ろう
バビューンと高速走行。
真っ白な霧が出て来て、前が見えん
周りの山並みもモクモク
気を付けて帰りました。